スピリチュアルに行きかけたんですが2018年02月12日 23時13分

タナトフォビアという用語を知って以降、救いを求めてあれやこれやと検索しまして、「死ぬのが怖い」でググっていた某日、あるスピリチュアルサロンのブログに行き着きました。かなり精神が疲弊していた私には暗黒に差す光に見え、死の恐怖克服のヒントが見つかるかもしれないとメルマガ登録をし、バックナンバーを読みあさって約一ヶ月後、すっかり冷めました。
「暗黒に差す光」はあっちゅう間にブラックホールに吸い込まれたのですHAHAHAHA。

バックナンバーを読み進めると、私個人が大変f※※kと感じる文言が散見されるようになり、とどのつまり幻滅したわけです。
この手の人の科学の忌避はなんでしょうね。衣食住と安全と健康、文明にどっぷり浸かっているゆえに可能な贅沢を満喫してるようにしか見えないんですが。宗教であれスピリチュアルであれ、その人がそれで幸福なら結構な事だけど、アナタ達の妄言で迷惑してる人がいるんじゃないの?

さて、くだんのブログを読み始めた頃に、元々うちにあった学研の宗教の本も読み返してまして
特にこのあたりを。
学研の宗教の本たち

今までは、例えば「釈迦の本」を読んでも単なる情報としてしか受取ってなかったのに、改めて読んだら理論や修道の解説がなんとまあサクサクと入ってくること。
神社仏閣を巡り関連書籍を読んでもオタク趣味の延長に過ぎず(なんせ宗教に興味を持ったきっかけが「孔雀王」だし)、それらを元に同人誌でへっぽこ漫画を描いたりしてましたが、自分の生き方に入り込むということは考えてませんでしたね。死を日常生活から意識するようになって初めて真剣に考える。現金なものです。

そして自分には仏教の考え方が合ってるなあと思い始めたと同時に、スピリチュアルへの期待は急激にしぼんだのでした。概念自体は(特に中二病に罹患してると)魅力的だし、あのふわふわした感覚を信じ込めれば死の恐怖はなくなるかもしれないけれど、それ以外が自分には無理過ぎた。多くは語りませんが。

世の中に絶対はないので、何年かしていきなりスピリチュアルに傾倒するかもしれないけれど、私がニクタリアンである限り可能性は低い気がします。極端に菜食に偏ることで何らかの脳内物質が出て、見えない何かを感じた結果が高次元の存在や大いなる宇宙の概念ではないのかと感じるので。

苦行で仏を見たり座禅で魔境を見るのも同様に、悟りを開く(死の恐怖を克服する)為には、菜食に近くなった方がいいんでしょうけどねえ健康のためにも。
ただ前述通りニクタリアンで野菜嫌いの私には厳しいのです。

…松屋のチーズタッカルビ定食うめえでしょ…。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://kalavinka.asablo.jp/blog/2018/02/12/8787035/tb